能登半島地震災害派遣活動
令和6年 能登半島地震 における盛岡医療センター災害派遣医療班報告
【背景と活動目的】
2024年1月1日16時10分に、マグニチュード7.6、深さ16kmの地震が発生し、石川県志賀町(しかまち)で震度7を観測した他、北海道から九州地方の広い範囲で震度6強~1を観測し、 多くの被害が生じた。 地震による建物の倒壊や交通機関の寸断などが報告され、被災地の輪島市では 火災が発生したため、市内各地に避難所が設置された。
長期にわたる避難生活により、高齢者を中心に、様々な医療ニーズが想定された。
そこで、 この地震による深刻な被害に対応するため、災害派遣医療チーム(Disaster Medical Assistance Team; DMAT)を中心に、国立病院機構(NHO)及び日本赤十字病院(日赤)医療班が組織され、継続的な輪島市への派遣が実施されている。
我々 はその一員として NHO盛岡医療センター医療班を医師、看護師、薬剤師、事務官の5名にて構成し、輪島市での医療支援活動に従事した。今回の活動目的は、
1) 地震による被害状況と被災者の医療ニーズを評価し、適切な医療支援を提供するための情報収集の実施
2) 輪島市に派遣されている医療班による医療支援の現状の把握や医療支援の実践
3) 医療支援活動内容及び遭遇した課題や改善が必要とされる点の整理
4) 今後の医療支援活動をより良いものとするための提案
の4項目とした。
令和6年2024年1月1日に発生した令和6年能登半島地震に対する現地で実施した医療支援について、報告する。
【訪問地】
石川県輪島市輪島市役所及び市立輪島病院
【参加者】
肥田 親彦(医師)
阿部 憲介(薬剤師)
小岩 巧(看護師)
髙橋 秀治(看護師)
芳賀 啓太(事務官)
【活動期間】
令和6年1月30日から2月3日まで
【主な活動内容】
◇ 市立輪島病院の夜間救急当番を代行する。
◇ 輪島市内の避難所を巡回し、体調不良者等のスクリーニング及びアセスメントをおこなう。
【活動内容の詳細】
<準備期間:1月15日から1月29日>
当院職員に災害派遣要請が通知され、準備を開始。事務を通じて具体的な活動内容、持参品、行程などを確認し、後方基地である金沢医療センターDMAT調整本部へ医薬品、食糧などを郵送した。
<派遣初日:1月30日>
11:10 | 盛岡医療センターを出発。東北新幹線、北陸新幹線を乗り継ぎ、金沢市に移動。
[ 公共交通機関を乗り継いで、盛岡市から金沢市に移動。]
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16:45 | 金沢医療センターに到着。三階大会議室のDMAT調整本部でブリーフィングを受け、2月1日の市立輪島病院で夜間当直(23:00から翌4:00まで)を指示される。
[ 金沢医療センター内に設置された現地対策本部。]
二台のレンタカー(車種:セレナ、ノア)を拝借してKKRホテル金沢に宿泊した。金沢市内の被害はごく軽微であった。 |
<派遣二日目:1月31日>
6:30 | 起床、ホテルで朝食 |
7:30 | ホテルを発ち、市立輪島病院のDMAT指揮所に向かう。 出発に先立ち、当チーム内の情報共有のためLINEグループを作成した。 [ KKRホテル金沢にて。]
同時刻、北海道がんセンター5名も別の車で出発したため、当院も後続した。路上に氷雪は見られなかったが、西山パーキングエリアを超えて10分ほど走行した付近から、道路のひび割れが目立ちはじめ、崩落現場が散見されるようになり、横田ICより県道249号線を迂回した。七尾湾沿線では道路は渋滞し、家屋も倒壊していた。 [ 県道249号線では、崩落した道路が散見された。幸い、降雪状態ではなかった。]
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11:10 | 市立輪島病院に到着し、二階の現地DMAT指揮所で市立輪島病院の夜間当直(23:00~4:00)における申し送りを受けた。 |
12:30 | 輪島市役所二階のDMAT拠点本部に移動。 北海道がんセンターチームや、熊本医療センターチームなどと交流しながら情報を得る。 [ 輪島市役所2 階に設置された DMAT拠点本部。DMAT以外の各災害派遣班も集い、本部からの指示を待機していた。各班からの申し送りを直接耳にすることができた。 ]
その後、拠点本部よりNHO派遣隊は「医療班」として避難所の巡回を指示される。 2月1日当日は避難所を割り当てられず、23時まで市立輪島病院に待機することとなった。 あらかじめ道路状況と避難所の位置を把握するため、市内を巡航してから市立輪島病院に帰着。 [ 輪島市内は、倒壊家屋によって通行が困難であった。 ]
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17:45 | 市立輪島病院の電子カルテの使用方法についてレクチャーを受ける。 |
23:00 | 市立輪島病院の空き病床を待機室として夜間当直を交代。
[ 市立輪島病院の空き病床を待機所として割り当てられた。 ]
ロジ担当の事務が不眠の受付業務を担うのは負担が大きかったため、薬剤師と2時間30分毎の時間交代することとした。 |
<派遣三日目:2月1日>
2:45 | 救急車で来院した呼吸困難状態の急患を収容。 60代男性で、多系統萎縮症を下地にした誤嚥性肺炎症例であった。非心原生肺水腫も合併しており、急性呼吸窮迫症候群が疑われた。 リザーバーマスク10Lの酸素投与下でSpO2 80%台の高度な低酸素血症であり、緊急の人工呼吸器による管理が望まれたが、市立輪島病院では人工呼吸器の管理が困難だったことから、転院搬送の方針となった。 人工呼吸器の装着に対して妻の決断が遅れたこと、および転院調整が難航したため、輪島病院の出発までに時間を要した。 |
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5:00 | 医師同乗のもと、七尾市の恵寿総合病院救急センターに向けて急患を救急車で移送。大阪から派遣された救急隊が対応し、道に不慣れであったこと、路面の損傷が激しかったことなどから、時速40キロメートルほどで走行した。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6:50 | 恵寿総合病院に到着し、急患を申し送る。
[ 重症症例を七尾市の恵寿総合病院救急センターに搬送した。 ]
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7:30 | 市立輪島病院に向けて恵寿総合病院を出発。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
9:40 | 市立輪島病院に帰院。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
12:40 | 輪島市役所の拠点本部に赴き、鳳至(ふげし)公民館のスクリーニングを割り振られる。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
13:00 | 鳳至公民館で対応した患者は以下のとおり。
[ 鳳至(ふげし)公民館避難所にて。 ]
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17:00 | 輪島市役所に戻り、活動結果を報告する。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
17:30 | ルートイン輪島に宿泊。水洗トイレ、大浴場を使用することができた。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
20:00 | LINEとZOOMアプリケーションを用いた遠隔ミーティングにて、今後の医療班の方針を通知される。 避難者たちに、段ボールベッドの有用性と、感染症患者の隔離の必要性を指導するよう各チームに申し送られる。 |
<派遣四日目:2月2日>
6:00 | ルートイン輪島提供の朝食をとる。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
8:30 | 拠点本部から、長井町プレハブと個人宅の巡回を指示される。
[ プレハブ生活者への巡回状況。 ]
両宅とも不調子はなく、速やかに終了。市役所の拠点本部に戻り、活動を報告。その後、急遽輪島市ふれあい健康センターにいる発熱者1名の診察を依頼される。 同センターでは、徳洲会グループの災害派遣隊による支援活動が独自に行なわれていた。事前指示では1名のみの診察依頼であったが、同じ避難所の避難者たちから次々と診察依頼を受ける。
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12:30 | 市役所の拠点本部に戻り、活動を報告。その後は金沢市に帰還。 のと里山海道の道路崩壊につき、県道249号線を走行し、七尾市を経由後、上棚矢駄ICよりのと里山海道に入り、金沢市へ向かった。 |
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15:40 | 金沢医療センターに帰着し、現地の状況と活動を報告する。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
17:00 | KKRホテル金沢へ。 |
<派遣五日目:2月3日>
8:30 | KKRホテル金沢を出発。 |
10:17 | 盛岡に向けて新幹線で帰還。
[ 派遣時期が重なった、北海道がんセンターとの合同写真。交流を深めながら、現地での情報共有を図ることができた。 ]
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15:00 | 盛岡医療センターで解散 |
【活動に対する所感】
今回の災害派遣に関して、各部門からの所感をまとめる。
<薬剤部門>
調剤業務を中心とした避難所における医療支援活動とともに、「被災後のお薬手帳の所持と服薬状況に関する調査」を実施した。
【 目的 】
厚生労働省医薬局から令和6年1月2日に発出された事務連絡「令和6年能登半島地震による災害に伴う医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律等に係る取扱いについて」において、災害の被災地の患者に対する処方箋医薬品の取扱いとして、医師等の受診が困難な場合、又は医師等からの処方箋の交付が困難な場合において、患者に対し、必要な処方箋医薬品を販売又は授与することが可能であるとされた。
ただし、その際には、薬剤服用歴、お薬手帳及びマイナンバーカード等を活用し、患者の服薬情報を確認するよう、努める必要があった。
また、平成23年3月11日に発生した東日本大震災では、津波被害等により医療機関や薬局、カルテや薬歴等の医療インフラが大きな被害を受けたため、お薬手帳の活用により、スムーズかつ適切に医薬品が供給された事例が集積されている。
これまでの災害で、お薬手帳が医療情報を集積・共有する媒体として有用であったことから、今回の令和6年能登半島地震におけるお薬手帳の有用性について、確認を実施することとした。
【 方法 】
対象は石川県輪島市内の避難所に避難している令和6年能登半島地震被災者とし、お薬手帳の有無及び現在の服薬状況に関するインタビュー調 査とした。
口頭によるインタビュー調査実施の説明に対し、同意を得られた被災者を分析対象とした。
【 結果 】
インタビュー調査の実施は27名であり、同意を得られた22名を調査対象者 避難者 とした(回答率:81.5%) 。対象者の平均年齢は76.1歳、女性15名(68.2%)、盛岡医療センター医療班によるアセスメント後、処方薬の交付があったのは9名(40.9%)であった。
また、お薬手帳を所持していたのは、12名(54.5%)であったが、所持していなかった10名のうち、1名は薬剤情報提供書を所持し、被災によりお薬手帳を紛失したのは6名だった。
元々お薬手帳を持っていなかった3名のうち2名は処方薬の定期的な服用がなかった。
元々お薬手帳を持っていなかった1名は定期的に服薬を実施していたが、お薬手帳の必要性を感じておらず、今後もお薬手帳を持たないとのことだった。お薬手帳は全て紙製であり、スマホ等のアプリケーションによる電子版お薬手帳を所持していた避難者はいなかった。
今回の調査対象者の中で、被災により定期的に服用していた処方薬がなくなり、服薬が継続できなかったのは4名(18.2%)であったが、服薬中断期間は数日程度であった。
また、 4名はいずれも診療再開となったかかりつけ医にて定期薬が処方されていた。
【 考察 】
定期的な処方薬を服用していた避難者のほとんどは被災前に紙製のお薬手帳を使用していたが、被災に伴いお薬手帳を紛失していた。
今回は、かかりつけ医にて被災後10日程度で受診が可能であったとのことから、定期薬がなくなった避難者も服薬中断が数日程度であったことが分かった。
また、かかりつけ医では診療録の紛失がなかったため、お薬手帳を被災により紛失した避難者も定期薬の処方が滞りなく行われ ていたと思われる。
一方、火災等による紙製のお薬手帳を消失した避難者もいたことから、現在推進されている医療DXにより、電子版お薬手帳の普及も災害時には有用な場合があると考えられる。
医療班による診療支援時には、お薬手帳を把握することで、避難者の既往や新たな医薬品を処方する際の薬物間相互作用の確認等が可能となるため、災害時を考慮した際にも、お薬手帳の普及は重要と考える。
【 その他 】
避難所における医療班による診療支援では、様々な医療ニーズが考えられるが、薬剤師の役割として、他職種による介入前のお薬手帳の確認による聞き取りにより、医師による医薬品選択や薬剤師よる処方提案も可能となり、迅速かつ適切な医療支援が可能となると考える。
また、被災後の診療支援時期やその季節により、避難所で生じる可能性が高い疾病を医療チームで事前に検討し、適切な持参医薬品の選択が必要と考える。
今回、我々は、国立病院機構本部が準備した持参医薬品一覧を参考に段ボールに医薬品を保管し、避難所に持参したが、より効率的な調剤を可能とするために、医薬品ケース等を各医療班が準備し、被災後の医療フェーズに合わせた持参医薬品の入れ替えを柔軟に実施できる管理体制を 整備する必要があると考える。
<看護部門>
準備物品について
事前情報をもとに、不足がないように多めに荷物を郵送した。
結果的には、500mlの水48本のうち、未使用数が10本ほどであった。
パソコン、CPRセットなど、使用する機会のない物品も多かったが、他の派遣隊も同様であった。事前の現地調整本部からの情報が流動的である以上、物品の削減には難しいと思われた。
頻用した物品は、血圧計、体温計、携帯型 SaO2 モニタ、ディスポ手袋、消毒用ジェル、消毒用使い捨て布巾といった、訪問診療レベルで用いる物品であった。
今回の反省点として、体温計が段ボールのどこに収納されたのかがわからなくなり、避難所から拝借せざるを得なくなった点や、屋内靴やスリッパを持参しなかったため、避難所から拝借した点が挙げられる。
上記に挙げた血圧計などの頻用物品は、あらかじめ<往診セット>としてショルダーバッグにまとめて収納しておけば利便性が高まったであろうし、郵送時点で段ボールの表面に入っているものが記載されてあれば現地での分別がしやすいと思われた。
<事務部門>
1/31(火)~2/3(土)に係る輪島市での医療班活動について、以下の通り所感をまとめる。
第一に、出発前の準備について、医療班活動にあたってどのような物品を準備すれば良いか知識・経験が不足していたため、実際には使用しなかったものが生じたり、避難所内を移動するための上履きといった活動していて必要性を感じたものが生じた。
理由として本部及びグループからの情報提供が最低限であったことや、当院において医療班研修への参加が積極的に行われておらず、有事の際の体制が整えられていなかったことが 挙げられる。
第二に、現地での活動について、現地の災害対策本部との連携がうまくとれなかったところが見受けられた。
具体的には各避難所で診察した患者情報を専用のアプリに登録することが災害対策本部に求められていたが、明確に指示が出されておらず、当院より前に活動していた機構病院でも入力が漏れている可能性が生じていた。
対策本部側で医療班活動のために派遣された病院は既に前提となる知識があるものとみなして、指示や引継ぎが省略ないし漏れていたのではと思われる。
また機構本部側で災害処方箋にて処方した医薬品費の請求方法について、各病院から照会を行ったが回答について長く待たされ、現時点でも明確な回答が来ていない状況にある。機構内でも有事における対応について明確に定まっておらず、現地で活動する医療班との連携が上手くとれていないように見えた。
今回、初めて医療班活動に参加したが、有事に対しての事前準備とそのための前提となる知識の集約、関係各所との連携をいかに円滑かつ緻密に行うかが重要であると活動を通じて理解した。
<医局部門>
準備薬剤について
今回もっとも頻用した薬剤はカルボシステインであった。避難者たちの主訴は上気道症状が大半を占め、一般的な感冒薬は潤沢に用意しておくべきと実感した。
同時に、断水による不衛生な環境下に由来したアレルギー症状も相当数見受けられた。
2月2日に応対した 13) の女児症例のように、花粉症の初期症状が疑われるケースもあり、抗アレルギー薬も感冒薬と同程度に準備した方がよいと思われた。
今回避難所で使用した物品や各種薬剤は、避難所に到着した時点で段ボールに梱包されたままだったこともあり、避難所内で使用する際に段ボール内から探しだす手間を要した。あらかじめ薬剤を取り出しやすいように専用ケースに収めておいたり、処方薬をセット化しておくなど、準備段階での効率化を図っていきたい。
チームとしての連携が必要
避難所のスクリーニング業務に際し、当初は避難者1人に対してチーム5人で対応したが、有症状者への診察が始まるたびにスクリーニング業務が停滞してしまった。
今回、医師の診察中に、スタッフが機転を利かせて他の避難者たちの予診などを先行したことが時間の節約につながった。予診、診察、処方の三段階を、スタッフで分担しながら巡回した方が効率的と思われた。
なお、避難所責任者にあらかじめ診察室ブースを設けるよう事前通知して診察希望者に集まってもらう方法も可能であろうが、被災者の一人である避難所責任者に負担を上乗せするわけにはいかないうえに、避難所の状況そのものをチェックすることも医療班の業務内容であるため、多少非効率的であっても、避難者一人一人に具合を尋ね歩きながら避難所の様子を視察する方法が医療班活動として正解と思われた。
避難所診察の要点
避難所内での診察は、救急外来での身体診察とは観察点が異なった。
たとえば、2月1日の鳳至公民館で応対した5)の 高齢男性は、要介護者の妻の元を離れることができず、避難者向けの入浴サービスを受けられずにいた。一か月間同じ衣類と寝具を使い続け、さらに暖をとるために寝具の上で食事もとっていたため、スナック菓子の食べかすなども散らばっていた。本人の主訴は咳嗽のみであったが、眼瞼は充血しており、ゴミ袋は鼻をかんだティッシュで満杯であった。
この高齢男性は、瓦礫撤去作業時の服装のまま寝食をされており、診察時に靴下を脱いでもらった際には、粉塵が舞い上がった。このようなケースは、処方薬で解決するような内科治療よりも、避難所内での介護支 援や、ナイチンゲール的視点の衛生 環境指導が優先されるべきと考えられた。当該症例について、我々は場凌ぎとしてビラノアを処方しつつ、避難所の責任者と市役所二階のDMAT拠点本部に事情を説明した。
幸い、避難所責任者が、地元の地域包括支援センターの担当員と懇意だったため、現状への介入を要請することができた。
そのほか、2月2日の症例9)なども同様で、他人が使用していた寝具を譲り受けたまま、一か月間寝食をされているケースであった。やはり寝具上には食べかすが散乱しており、ゴミ袋は鼻をかんだティッシュであふれていた。感染症 というよりも ハウスダストやダニといった外的要因によるアレルギー症状が疑われ、避難所の責任者には可能な限り寝具の日干しや掃除を指導した。
これらの症例群に代表されるように、避難所におけるスクリーニング業務とは、一般的な内科診察のみならず、 行政の介入を要するケースや、現地の衛生環境の問題点などを洗い出す作業も含まれており 、救急外来的対応よりも、より幅広い視野での観察が要求されるものと思われた。
【まとめ】
今回の災害派遣では、各部門からの所感にあるとおり、
ⅰ)事前準備の時点で使いやすさを重視して荷造りをしておくべき点
ⅱ)医療班活動の具体的ビジョンを予習しきれなかった点
が課題として残された。
災害拠点本部は「何をどうやればよいのか」を既知として進行しており、「J SPEED とは何か」から懇切丁寧に解説をしてはくれない。東日本大震災の頃と比べて、各避難所の状況把握にはスマートホンアプリケーションをフル活用した電子入力作業が主体に変わっており、派遣隊は電源の有無に合わせたロジスティクス活動にも順応しなければならない。
現地では、「こうした災害医療上の常識は履修済み」という前提で隊員が集まっているのである。
日常診療の傍ら、専門外の分野を学習する余裕がないのも実情であるが、時と場所を選ばない災害医療の性質上、臨機応変を可能とする知識のアップデートは不可避なのかもしれない。
今回、災害拠点の病院となった市立輪島病院が、盛岡医療センターと同規模の医療施設だったことも考えると、たとえ慢性期病院であっても、平時における医療班研修には、積極的に参加するべきではないかと思われた。
【今後の具体的改善点の抜粋】
- 用物品は、あらかじめセット化しておく。
- 事前に段ボールに梱包物品を記載しておく。
- 避難所用に屋内靴やスリッパを持参する。
- スクリーニング業務の際には、薬剤師による服薬状況の確認や、看護師による予診も併行するなど、チームとしての連携が重要である。
- ロジスティクス活動に必要な知識を予習しておく。
- 衛生環境指導の要点を把握しておく。